今回は、岩手競馬の存廃問題についていろいろ調べているうちに、ふと感じたことから考えてみたいと思います。
それは、今回の問題について、盛岡と水沢に温度差があるのではないか?ということです。
まず、こちらの読売新聞盛岡支局の記事をご覧ください。
この中で、盛岡市幹部の見方として、このようなものがあります。
盛岡には四百億円以上を投じた新競馬場・オーロパークがある。大レースのほとんどがここで行われ、売り上げも水沢とはけた違いに大きい。だから盛岡市側には「岩手競馬の問題は、水沢競馬場の廃止という結論に落ち着くのではないか」(市幹部)との見方がある。
このような見通しを盛岡市の幹部の方がすることには、それ相応の理由があると思います。
それは我々ファン、特に県外から岩手競馬を見ている人々が、「岩手競馬が廃止になるかも」というニュースを聞いたとき、最初に「あんな立派なオーロパークがあるのに、勿体無い」という反応をするのではないでしょうか。それを、盛岡側では、「水沢を切り捨てても、オーロパークが残ればファンも納得し、廃止論者も当面の矛を収める、玉虫色の決着になるのではないか」と誤解しているようにも思えるのです。
しかし、水沢を廃止してしまっては、岩手競馬には明らかなマイナスになると思うのです。以下、理由を幾つか述べたいと思います。
まずは、開催日程の問題です。山の中にある盛岡競馬場は、12月から1月の冬場の開催には困難があると思われます。雪があっては芝コースが使えないからです。
また、春先の開催にも同じことが言えます。雪解けを待たないと芝生を育てることができず、4月には盛岡の特性を生かすことができないのではないかと思います。
次に、馬事文化とのかかわりから考えます。盛岡と水沢を比較したとき、開催本場としての売上は水沢の方が多いと聞いています。もし、競馬を単なるギャンブルとしてのみ捉えるとすれば、本場だろうと場外だろうとどこで売れても同じことです。
しかし、馬を文化として捕らえ、馬を目の前で見ることに価値を見出すのならば、本場開催で多くの馬券が売れることには非常に意味があると思います。画面の中での馬と、目の前で見る馬はやはり違う、というのは、競馬ファンの方なら誰でも感じることだと思いますし、新しいファンを獲得するためには目の前で馬が走っているのと走っていないのでは大違いです。現に、私は近所に京都競馬場がなければ、こんなに競馬を好きになることはなかったと断言できます。
となると、盛岡と水沢、2場で開催された方がより多くの人が競馬をライブ観戦できますし、市街地から遠く離れた盛岡よりも、市街地からそう遠くない水沢の方が、新しいファンにとっては敷居が高くないと思うのです。
そしてもう1つ、私が強調したいのが、馬場の多様性です。
前回の「岩手競馬存続考」のなかで、生産頭数が多いことが日本競馬のレベルアップにつながるという考えを書きましたが、それを一言で言うと、「生産馬の多様性の確保」となります。多様な馬が生まれ出でるからこそ、突然変異的な名馬が生まれる確率が高くなる、ということです。
今回の盛岡と水沢、2つの競馬場があることも、多様性という面でのメリットがあります。それは、盛岡の広い左回り、水沢の小さな右回りの2つのコースがあることで、より多くの馬に活躍のチャンスが生まれるということです。
例えば、故障などで体のバランスを崩し、右回りしかまともに走れない馬がいるとします。もし盛岡しかなかったら、その馬は大成できず終わるかもしれません。水沢の右回りがあることで、水沢巧者が生まれ、能力を発揮するチャンスが生まれると思うのです。そして、これは左回りに適正のある馬でも言えますし、広いコースに適正のある馬でも、小回りコースに適正のある馬でも、同じことが言えると思います。
こうして能力を発揮できれば、素質はあっても故障などがある馬に、より高いレベルへ進むチャンスを与えられるとともに、馬主さんたちがほかの競馬場でなく、盛岡や水沢に自分の愛馬を預けてみよう、と思わせる要素にもなりうると思います。
2つの異なったタイプの競馬場を持っている地方競馬主催者は、南関東4場のように近隣との提携関係を結ばない限り、ほかでは見られないと思います。こうした「岩手のいいところ」は、なくしてほしくないと思います。
(2004.3.17)