いつもOpera in IHATOVをご覧いただきありがとうございます。
ここではこのサイトの趣旨やら、私自身について書かせていただきます。
このサイトはメイセイオペラ産駒情報ということで、2001年5月から運営させていただいています。それまでもサイトを作りたいとは思っていたのですが、ネット環境が貧弱で、作ることができずにいました。
ちょうどメイセイオペラが引退して種牡馬デビューをした頃で、岩手競馬の予想大会や、個人的に作った予想新聞を中心に細々とやっていましたが、2003年4月の皐月賞の日の夜、悪夢が起こりました。パソコンが壊れたためネットに接続できなくなり、更新不能状態に陥ってしまったのです。
最初は忙しさで、それからは資金難で、そしてお金が溜まっても、サイトの更新ネタがなく、ダラダラしているうちに復活がのびのびになってしまいました。
そして2004年2月末、岩手競馬について暗いニュースを耳にしたことと、メイセイオペラ産駒のデビューの年だと思い出し、一念発起して復活にこぎつけました。今使っているihatove.comのドメインは、その時に取得したものです。
おかげさまで、それ以来多くの方々に来ていただき、ありがたい限りです。
このサイトが@niftyにあった頃はプロフィールのページも置いていたのですが、リニューアルしたときに消してしまい、そのままになっていました。
現在の私から書きますと、本拠地は京都市の伏見区で、京都競馬場までは自転車でちょっとした運動になるくらいの距離です。竹之内というのは昔、詩や小説を書いていた頃から使っているペンネームです。
本業は、広い意味では、法律関係というジャンルに含まれると思います。といっても、まだまだひよっ子です。
生い立ちと競馬歴、メイセイオペラとのいきさつを簡単に。
今から二十ウン年前の6月6日、かつては馬産も盛んだった印旛郡の片隅で生まれた牡です。
ちなみにメイセイオペラの生まれた1994年6月6日、高校生だった私は尾崎豊にはまっていましたね。高校には勉強しに行ってるのかトランプしに行っているのかわからない日々で(笑) 旅行も好きでした。JR線乗り潰しを目標に宿無しの貧乏旅行を春夏冬休みにしていました。
この頃までは競馬とはまったく無縁です。シンボリルドルフの海外遠征のニュースは記憶にあるのですが。
競馬に出会ったのは1995年のこと。友達の影響でパソコン通信を始めて、BBSでの競馬予想を後輩のすすめでやってみて、まぐれ当たりしたのがきっかけです。ちなみに、秋の天皇賞でサクラチトセオーとジェニュインと予想し、あの井崎先生と被ったのに当たってので、友達に「槍が降る」と言われました(笑)
そんなのでラジオで競馬中継を聞くくらいにはなったのですが、馬券を買うことはなく、東京は御茶ノ水の某予備校に通っていたのに近所の後楽園には足を運ばず終いでした。
競馬の世界へのきっかけは、京都へ引っ越したことです。近所にできた友達が競馬好きで、一緒に競馬場に行くようになり、そのうち一人でも行くようになり…という感じではまっていきました。
最初にナマで見たのは1997年の京都大賞典。ダンスパートナーをシルクジャスティスが内から差し切ったレースでした。GTデビューはその年のエリザベス女王杯で、ダンスパートナーをエリモシックが外から差し切ったレースでした。ちなみにそれ以来、女王杯だけは毎年休まず観戦しています。
その頃はメジロブライトやエアガッツが好きでしたね。
地方競馬へ目を向けるようになったのは、船橋のアブクマポーロの活躍がきっかけでした。中央競馬ばかり見てきた私には、地方競馬という別世界が新鮮に思え、徐々に目を向けるようになりました。
メイセイオペラのことは、「南部杯であのアブクマポーロを負かした馬は岩手のメイセイオペラって馬らしい」という形で知ることになりました。アブクマポーロ側から見ていたので、この頃はライバルの1頭という感じで見ていました。
メイセイオペラがフェブラリーSに出てくるらしい、ひょっとしたらひょっとする。そんな話を聞いたので、その当時、月曜日の日課にしていた競馬ブックの立ち読みでメイセイオペラについて情報集めをしてみたのです。
そこで目に飛び込んだのは「6月6日生」という文字だったのです。昔から仲のいい馬友達が4月生まれで、同じ日に生まれたGT馬が何頭もいるのを常々うらやましいと思っていたので、この馬には今後注目しないといけないなーとその時は思いました。
そして、見事な勝利。それ以来惚れ込みました。馬券もオペラ流しで掲示板独占という珍しい結果に終わったのもあるのですが。
その後、地方競馬にも足を運ぶようになりました。船橋には日本テレビ盃のときに、笠松には全日本サラブレッドCのときに行き、マジックリボンとゴールドプルーフの東海ワン・ツーは結構感激しましたね。
そして、初めてメイセイオペラとナマ対面したのはその年の東京大賞典でした。ついにオペラのGT勝ちをナマ観戦できるのかと確信して見ていたのですが…結果は11着惨敗。かなりショックを受けて帰ったのを覚えています。
次のナマ対面は翌年のフェブラリーSで、脚抜きのいい馬場なら負けないだろうと確信が半分、ただ万全の体調とはとても思えない不安半分で見ていました。
ゴール前50mまではものすごく興奮して「やった」と思ったのですが、結果は追い込んできた3頭に交わされて、4着。追いきりが一本足りないと言われたにもかかわらず、猛烈なハイペースを逃げ粘って「負けて強し」の4着。私はこのレースがメイセイオペラのベストパフォーマンスだといまだに思っています。他のレースの映像をあまり見られていないので、そう思う面もあるのですが…。
当時は学生だったので、長期の休みでもない限り関東や岩手に行く時間もなく、休みがあっても岩手までは直行のバスや電車もなくお金がないという状況で、メイセイオペラに会えずじまいで、とうとう引退してしまいました。引退式も11月では、出かけていく時間もなく、むなしく友達と京都競馬場でマイルチャンピオンシップを見ていました。アグネスデジタルには驚きました(笑)
引退してしまうと、岩手より遠い北海道の静内に行ってしまい、ますます私から遠ざかってしまいました。
そんな中、ネットをする環境が整ったのを期に、友達の影響もあってこのサイトを立ち上げました。その年の夏、盛岡に初めて行き、その美しさに感激しました。北海道にも行きましたが、札幌の友達に会うのが優先で静内には行けませんでした。
でも頑張ってればいつか会えると思って、2003年の夏、やっと取れた長い夏休みを利用して北海道へ行きました。車を買いたての友達に運転してもらって、レックススタッドまで行ったのですが、雨で見学中止。アロースタッドにしか行けずに終わってしまいました。
そして、また1年、夏休みが取れるように頑張って、今年の初秋、いよいよレックススタッドでメイセイオペラとの再会を果たしました。はしゃいで写真を撮りまくる私に友達はあきれていましたが。でも本当にうれしかったのですよ。とても人懐っこかったのが印象的です。愛されて育ったんだなーという感じです。
誕生日が同じ馬なら他に何頭も見かけたのですが、やはりメイセイオペラには何かがあってここまで惹きつけられてしまいました。それが何なのかはまだわかりきらないのですが、子供たちを応援していく過程で、その答えが見つかるのかなと思っています。
プロフィールのつもりで書いたのですが、なんかまとまりつかなくなりましたね。また機会があったらプロフィールもちゃんと書きます。
サイトの趣旨というか方向性は、メイセイオペラの産駒の情報を可能な限り集め、その応援をすることで、競馬を楽しもうというところにあります。
できるだけ冷静に、産駒の走りを伝えていきたいと思うのですが、ついつい熱くなって期待過剰になってしまうのは私の悪いところで、気をつけなければいけないなと思っています。
本当はギャンブルとして競馬を楽しむのが一番なのでしょうが、猛烈に馬券が下手なもので…(笑)
一応お断りしておきますが、確かに、このサイトにある情報は、いろんなところで公開されている情報を集めたものですので、撮影ないし提供していただいた写真などを除けば、オリジナリティのあるものではありません。
ですが、情報を集積することによって、手垢のついた情報にも付加価値が出てくるのではないかと思っています。それがこのサイトの存在価値といえるのではないでしょうか。
これからも情報に私の分析をできるだけ加えて、オリジナリティーがあると胸を張っていえるように頑張りたいと思います。